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下の文章は2月13日の毎日新聞「闘論」のオリジナル原稿です。

Jリーグの経営戦略は長期的と短期的の両面から考察する必要がある。長期的視点に立てば、クラブの数は増えれば増えるほど良い。なぜなら、スタジアムに足を運ぶサポーターの数が確実に増えるので、リーグ全体の収入と価値が上昇するからだ。しかし、短期的視点では、今、クラブ数を増やすタイミングではなく、リーグと各クラブの財務力を強化すべきである。そうしないと、資金難のクラブが続出し、リーグそのものが経営破綻に陥りかねない。私は、クラブの大半が黒字経営になるまでクラブの増加は控えるべきと考える。

リーグは、プロ野球を反面教師にし、全国市場で展開するテレビ、マーチャンダイジング(商品化)、スポンサーシップについてはリーグの一括管理とする一方、地域市場のチケットと物品販売ではクラブによる地域密着の営業に力を入れることを基本方針としている。経営理念としては間違っていない。しかし、現実は理想から掛け離れた状態だ。原因は、全国市場からの収入がすくないため、リーグからクラブへの配分額がクラブ収入の10%程度に止まっていることに尽きる。この配分不足はクラブにとって致命的だ。
結果、各クラブは収支を整えるために収入の約90%を地域市場に依存せざるをえない。だが、地域密着の観客動員は掛け声倒れになっている。たとえば、英国のプレミアリーグが観客席を平均で92%、米国のNFLが96%、NHLが91%、NBAが89%埋めているのに対し、リーグは50%以下の水準に過ぎない。だから、各クラブは出資会社に広告料の名目で経営支援を仰がざるをえない。だが、出資会社が大企業のクラブは黒字を確保できるが、それ以外のクラブが黒字を確保することは極めて難しい。

リーグが公表している08年クラブ情報によれば、クラブの資本金合計額が約162億円に対し、累積の損失が約118億円に膨らんでいる。約44億円の損失で債務超過になるが、08年の当期損失が約12億円だったので、リーグの財務は危険水域に入りつつある。
かかる状況にも関わらず、リーグはJ2参加クラブを22に伸ばす予定だ。これからリーグに加わる予定のクラブは、出資会社の資金力が乏しく、赤字が予想される。また、リーグの収入が横ばいの中でのクラブ数増加はリーグからの分配金が減少することになるので、弱小クラブの赤字幅拡大が避けられない。

上記を鑑み、リーグの収入増加策の一つとして、全国市場向けのテレビ・マーチャンダイジング・スポンサーシップの権利を日本代表チームを抱える日本サッカー協会と共同して現金化することを勧めたい。欧州と違い、プロリーグの歴史の浅い日本では、代表とリーグを分離して応援することに慣れておらず、人気とビジネスが代表チームに集中する傾向にあるからだ。しかも、この提案は決して奇抜なものではない。ドイツのブンデスリーガが協会とテレビの共同管理を行っている。

欧州のリーグも英国のプレミアリーグが新設され経済的に潤うまで貧乏だった。リーグ開始時の1993年、リーグ収入はプレミアと肩を並べる水準だったが、今、J1の収入はプレミアの5分の1に過ぎない。
リーグは、欧州各国のビジネスのやり方を比較・研究し、その上で独自の経営戦略を組み立てて欲しい。

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今書店に行くと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」及び同時代を背景とする数多くの書籍が棚に積まれている。明治時代初期は皆貧乏だった。だが、若者は自分自身の立身出世のため、また、国のために勉学に励むことが正義だった。年に3万人以上の自殺者を生み出す現代の鬱積した世相に比べ、彼らには坂の上の雲を目指して坂を登るが如き、「ひたむきさ」と「希望」があった。彼らにとって、前進することが「国益」であったに違いない。

国益の定義は難しい。時代と共に変遷するからだ。「立身出世=国益」と信じた明治初期に比べ、現在、私欲や企業の独占欲は必ずしも国益に繋がらない。倫理観と利益に対するバランス感覚が必要だ。

たとえば、プロ野球。正力松太郎氏がいなければ、プロリーグ創設は遅れていただろう。読売新聞社の社長だった正力氏にとって新聞発行部数増大が究極的目的であったとしても、当時の新聞社がこぞって発行部数を伸ばすためにスポーツイベントを利用していたことを勘案すると、読売だけが特別のことをしたわけではない。しかし、結果として、国民に娯楽を提供し、彼らの翌日の労働に活力を与えたことは紛れもない事実だ。プロ野球の人気化は、当時、国益だった。
テレビの普及もそうだ。読売新聞社と日本テレビの利益が最優先だったに違いないが、正力氏がテレビの普及にプロ野球を利用しなければ、テレビとスポーツの関係は今よりも希薄だったかも知れない。特に、1959年の天覧試合(巨人対阪神)のテレビ中継はプロ野球を国民的娯楽にした。以後、テレビと巨人の蜜月は40年近く続くことになる。国民が最高の娯楽として受け入れたからだ。だが、天覧試合によって構築された巨人中心のビジネスモデルは、今、国益に叶わなくなった。権利を一括管理しない限り、知的財産権(著作権で保護されたテレビ放送権、商標権で保護された商品化権、テレビ放送権と商品化権を軸とするスポンサーパッケージ)の現金化が国内はもとより、世界市場に適合できないからだ。もはや、個々の球団が権利を管理する手法ではMLBとの格差拡大を阻止できない。

もう一つ、オリンピックとワールドカップの放送権利料。国際スポーツ組織(IOCやFIFA、など)に支払う放送権利料は額が低いほど国益に合致する。ところが、国際スポーツ組織とテレビ局の間に入る代理人(店)は手数料ビジネスを生業としており、額が高い方が良いに決まっている。ここに利益が対立する。
今年2月のバンクーバー冬季オリンピックの放送権利料は、2012年の夏季ロンドン大会とパッケージになっており、総額約4,100億円。内、米国が約2,200億円、日本は約325億円を負担する。総額に対して米国は54%、日本は8%を占める。米国はともかく、現下の経済情勢から判断して、日本が世界の8%を負担する能力があるだろうか?放送権利料とメダル獲得が比例するとも思えない。
今年6月のワールドカップでも同じことが言える。日本の支払額は約170億円。1試合平均のテレビ放送権利料は約3億円。巨人戦の放送権利料が1億円を割り込んでいる現在の相場では、ワールドカップの権利料は法外だ。これでは、スポンサーに高額のCM料を我慢して貰ってもテレビ局の赤字は避けられない。

スポーツのテレビ放送はオリンピックやワールドカップで終わりではない。国際的スポーツイベントのテレビ中継も大事だけれども、日本のスポーツ産業を大きくするためには、国民体育大会やインカレなど、諸々の国内スポーツイベントのテレビ露出が極めて重要だ。しかし、テレビ局は予算がないとの理由でマイナーなスポーツ大会を取り上げることはない。
だから、オリンピックやワールドカップの放送権利料を削減して、日の当らないスポーツイベントを是非とも放送して欲しい。なぜなら、テレビ露出が将来的には必ず「国益」に繋がるから。

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江戸時代、江戸(東京)で働く職人たちは「宵越しの銭は持たない」と粋がった。年金や医療の制度が整っていないにもかかわらず、彼らは倹約や貯蓄と無縁だった。その日暮らしだから決して裕福ではないはず。だが、貧乏であっても、腕が立てば失業の心配はなく、将来不安も一切なかったに違いない。それ以上に、おひざ元に住む彼らは、普段の生活の中で幕府に対して揺るぎない信頼があったから、万一の場合の備えが必要と感じなかったと思える。
現在、われわれは江戸時代の人たちよりもはるかに豊かだ。国の経済力は世界第2位。江戸時代に頻繁に起こった飢饉の発生はもはやあり得ないし、社会保障が充実しているので餓死することなど想像すらできない生活環境にある。江戸時代より数段恵まれているにもかかわらず、国民の多くは、将来に対して大きな不安を抱えている。さらに、何よりも際立っているのが、国と官僚にたいする不信。1,400兆円余りにも達する個人金融資産の存在がその証拠だ。

かかる環境の下、サラリーマンの将来不安を助長する出来事があった。日本航空(JAL)の会社更生法適用申請に伴う、企業年金支給減額だ。JAL蘇生の一方策として、結局、社員OBは30%、現役社員は53%の減額に同意した。現役社員は、再生が叶い、その後業績が回復すれば、給料の面で取り返す機会が残っているが、OBはそうはいかない。OBの多くは、どこかで働いて減額分を埋め合わせたいと思っても年齢的に働く場がないのが実情だ。
連結売上1兆9千億円。グループ従業員約4万8千人。日本を代表する企業でも倒産することもあり得ることをJALが改めて示唆した。企業が経営危機に陥ったとき、サラリーマンOBにとって生活給である年金が減額されることが避けられないことも明白になった。個人資産はさらに増え続けるに違いない。
国民総生産(GDP)の伸びは企業の設備投資と個人消費に支えられている。誰もが、国益の観点から、消費を拡大することが大事と分かっている。しかし、現実の生活では、給料は上がらない、雇用が不安、年金も不透明などの理由で消費を控えざるを得ない。不安軽減のための個人資産増加は個人消費減少に直結する。
そうなれば、日本の経済はますますデフレの圧力が増すに違いない。経済は衰退し、学生の就職難は改善されないどころか、もっと悪化するだろう。したがって、企業倒産時の年金減額を防ぐために、企業に年金積み立ての義務化と独立勘定の設定について法制化を急ぐ必要があると考える。

年金はサラリーマンだけの問題ではない。プロスポーツの選手たちこそ、年金の充実は喫緊の課題だ。プロ野球は年金制度があるが、Jリーグとbjリーグには制度そのものがない。プロ野球選手の年金受給額は最大で年間142万円。生活の支えになる金額ではない。また、選手の現役平均寿命が10年にもかかわらず、受給資格を得るには10年の在籍が必要なので、平均して、半数の選手が年金の恩恵を受けていないことになる。これでは、プロスポーツはリスクの高い職業といわれても抗弁できない。
あるプロ野球球団職員に聞いたところ、サラリーマンの子息が選手になる比率は低いそうだ。将来的な安定を求める傾向の強いサラリーマンは、自分の子供がプロ選手として大成しなかったときのリスクを負いかねる気持ちが強いと思われる。
スポーツ産業拡大のためには、多くの子供がスポーツに興じ、「プロ」になる夢を追い求めることが重要だ。プロの選手は努力次第で、サラリーマンの数十倍の年俸を手にする可能性があるから、年金は不必要との考えもあるが、それは間違っている。なぜなら、プロで成功しないかもしれない選手の生活を最小限でも支えることが選手人口増大につながるからだ。
だから、プロ野球に倣い、Jリーグとbjリーグも契約金制度を設け、たとえば、契約金の半額を強制的に年金に回すシステムを構築すべきである。MLBの選手会(労働組合)が最初に経営者と交渉して合意したのが年金と健康保険。年金が労働者にとって最重要案件であることをMLB選手会は40年以上も前にわれわれに教えている。

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長崎市が広島市と検討していた2020年夏季五輪共同開催を断念すると公表した。極めて残念だ。広島と長崎は他の都市と異なる。世界ひろしといえども、原爆によって壊滅的な打撃を受けた都市は広島と長崎以外にないし、今でも多くの住民が被爆の後遺症に悩んでいる。両市は、自らの体験を通じて「核廃絶」と「世界平和」のメッセージを世界中に発することができる数少ない都市なのだ。だからこそ、残された広島市の招致活動を応援したい。

一方で、被爆地の広島は政治色が強すぎると敬遠される可能性がある。さらに「スポーツに政治を持ち込むな」との意見も多い。だが五輪は、過去、国際政治の影響を常に受けてきた。五輪が世界規模で行われる以上、1936年のベルリンや2008年の北京が国威高揚に利用されたように、政治的思惑から逃れることはできない。だからこそ、五輪を通じて世界に「平和主義」を訴える機会を広島に与えても良いのではないだろうか。
広島と長崎の五輪招致表明に、IOC(国際オリンピック委員会)もJOC(日本オリンピック委員会)も初めから冷淡だった。IOCは、五輪憲章が「1国1都市開催」と定めており、2都市共催は認められないと否定的だった。だが、スポーツのルールが変わるように、五輪憲章も、時代の流れに応じて変わるのは当然だ。文言に固執する必要はない。現に、1974年に五輪の絶対的精神的支柱であった「アマチュア」の文言が憲章から削除された。選手たちが満足して競技ができるように大会全体を効率よく運営すれば良いのだから、アマチュアの文言削除に比べれば、「共催」排除は説得力に乏しい。
五輪は巨大なイベントになってしまった。現状から判断する限り、大都市でなければ五輪招致が困難となった。国家の財政支援も相変わらず必要だ。金持ちの国の、その中の大都市だけに五輪開催が許されるような仕組みがベストなのだろうか。別の見方をすれば、五輪の規模が大きくなったのだから、複数の都市が連携して効率よく開催するのであれば「共催」を認めても良いのではないか。器用な日本人が苦もなく共同開催をやってのける様を世界に見せたいものだ。
1984年のロサンゼルス大会から五輪はプロ(すなわち、商業)化が一気に進んだ。以来、放送権利料やスポンサーシップの高騰によって、開催都市の組織委員会の収支は黒字に転じた。

もちろん、五輪を開催するに当たって、空港・港湾や鉄道網の整備、高速道を中心とする道路網の拡充、競技施設の改修や新規建設など、公共事業的投資が欠かせないので、五輪に対する国家の経済的負担は依然として大きい。開催都市と国家の協力が不可欠ならば、それこそ、地方分権を推し進めようとしている日本では、東京よりも地方都市での五輪開催が時代に合っている。だから、広島の五輪招致に魅力を感じるのだ。都市選定では、中立・公平であるべきJOCが、現時点では明らかに、広島(と長崎)よりも東京を支持している。確かに、都市機能が充実しているので、東京が圧倒的に有利である。加えて、世界の人々も東京の方を良く知っている。
一方で、東京はある種致命的欠陥を抱えている。超一流かどうかを別にすれば、東京には何でも揃っている。無いものはない。しかも、東京都も国も、五輪の力を借りなくても、必要ならば、公共施設を作る力が備わっている。だから、都民は五輪に期待するものが少ない。都民の考え方が多様化しているのも東京都に逆風だ。都民の大多数が五輪招致を是が非でも実現したい、と熱狂的にならないからだ。地方分権の観点からも、広島を中心に、中国と九州の主要都市が連携して、地球環境に最大限配慮した五輪実現を目指すべきだ。広島は東京よりはるかにハードルが高い。だからこそ、広島(と長崎)は2020年にこだわらず、開催が実現するまで毎回、「平和」をスローガンに招致活動を続けるべきである。広島(と長崎)こそ、「継続は力なり」を示して欲しい。

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2010年1月15日(金)

昨日(14日)は2009年度最後のゼミ授業でした。最後と言うことで、旧ゼミ生(4年生)が主体となって、現ゼミ生(3年生)との合同「飲み会」を企画していましたので、4年生も数人ゼミに参加しました。
4年生も同じでしたが、現ゼミ生には、前期にディベートとパネルヂスカッション、後期にテーマごとの研究発表、をさせました。彼らは、司会または発表をする時、A4の用紙5~10枚のスピーチ原稿が必要です。司会や発表をしない時でも最低1,200字のレポート2枚を提出する義務がありました。
ゆとりの授業に慣れた学生に毎週レポート提出を求めるゼミは無いでしょう。しかし、旧ゼミ生もそうでしたが、現ゼミ生も毎週欠かさずレポートを提出しました。だから、ゼミの授業が終わる前に、彼らにつぎのようなメッセージを送りました。
「帝京大のラグビー部の学生日本一を見たでしょ。彼らは日頃鍛錬を重ねているから負けていても自信満々だった。見ている方も負ける気がしなかった。諸君も同じ。今時、毎週1,200字のレポートを2枚またはそれ以上を1年間に亘って出し続ける学生はそう居るものではない。1年間続けたことに意味がある。スポーツマネジメントについて十分な力量が付いた。「自信」をもって就職活動に臨んで欲しい。そして、人のため、世のために、有意義な人生を送って欲しい」

合同飲み会では、旧ゼミ生が元気でした。新聞によれば、全国平均で、大学就職内定が73.1%だそうです。4人に1人が未定なんです。飲み会に出席していた4年生は、就職、大学院進学、起業立上げ、が決まっていました。だから、みんな明るい顔をしていました。
現3年生も来年の今頃明るい顔をしてくれていると良いな、と思いました。

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