2016年のオリンピック開催地がブラジルのリオデジャネイロ(リオ)に決定した。前評判で本命と目されていた米国シカゴが1回目の投票で振り落とされる番狂わせがあり、その時、もしかしたら東京は最後まで残るかもと期待が膨らんだ。だが最後は、リオとスペインのマドリードの戦いになって、シカゴと東京の票を全部上積みしたリオの圧勝に終わった。
開催地が決まり、少し冷静になってIOC委員の選考結果を分析した。リオの勝利は、3つに起因すると考えられる。
1つ目は、他の都市がまねできないキーワードの巧みな強調だ。リオのキーワードは「南米初」だった。1896年にアテネで始まった近代オリンピックは、100年以上たっても南アメリカ大陸とアフリカ大陸での開催がなかった。シンボルの五輪旗が示す如く、オリンピックが5大陸の最高のアスリートが集う場であることを勘案すると、開催準備が整っているとの確証があれば選択は自然の流れだった。この雰囲気の中でルラ・ブラジル大統領は「南米初のオリンピック」を演説の中に効果良くちりばめ、IOC委員の琴線に触れることに見事に成功した。
2つ目は、「継続」だ。1984年のロサンゼルスは無投票だった。オリンピック憲章から「アマチュア」の文言が削除されて10年。米連邦政府も加州政府も、そして当のロサンゼルス市からも赤字補填しないと宣告されたロサンゼルス組織委員会は当然の如く商業主義に走り、黒字を確保した。以後のオリンピックでは、組織委員会レベルでの赤字はなくなった。
そうなると多くの都市が招致に手を挙げることとなり、競争が激化した。もはや1回目の立候補で招致に成功することが困難となった。例えば、2000年は大本命のアテネを押さえてシドニーが選ばれたが、オーストラリアは他の都市で2度失敗した後にシドニーを候補に立てて3度目で当選した。04年は00年の敗者アテネが返り咲いた。08年の北京も2度目の挑戦で成功。12年のロンドンは、バーミンガムやマンチェスターなどイギリスの都市の3度の落選後、4度目で勝利を収めた。
このように国と都市が一体となって招致活動を改善しないと勝つことが難しくなっており、何度も挑戦する「継続」が求められるようになった。リオは04年と12年に立候補し、1次審査で落選した。それでも、12年の落選時にIOCのロゲ会長を訪ね、招致要領について意見を聞く執念をみせた。そして、3度目にしての悲願達成だった。
3つ目は、「国際大会の組み合わせ」だ。近年、オリンピックやサッカーワールドカップ(W杯)に参加する国や地域の数は国連加盟国を上回る規模に達している。また、各種スポーツの世界連盟が単独でオリンピック規模の世界選手権を実施するようになり、世界規模のスポーツ大会を受け入れる国は競技施設のみならず、交通手段や宿泊施設を整えることが不可欠となった。同時に、安全確保も万全を期す必要に迫られるようになった。その結果、国家レベルで国際大会招致の調整を行い、施設と社会基盤の整備・充実を確約しない限り、国際大会の招致が困難になっている。
リオは、南北アメリカ大陸のミニ・オリンピックである「パンアメリカン大会」を07年に開催して成功しており、その実績と14年のW杯開催は、16年にリオを選択するIOC委員を安心させるに十分だったことは間違いない。
近い将来、日本がオリンピックやW杯などの国際大会の招致を目指すとき、以上の3要因を大いに参考にすべきである。また、スポーツ振興に関する国家レベルでの長期的戦略構築がますます重要になったことを肝に銘じる必要がある。







