オバマ大統領がソニア・ソトマイヤー氏をアメリカ連邦最高裁判所の判事に指名。議会の賛成多数で承認されました。ヒスパニック(中南米のスペイン語圏出身者やその子孫)としては初、女性としては3人目となる連邦最高裁判所判事就任です。
ソトマイヤー氏は1994年に起ったMLBのストライキ後の経営者と選手会の労使交渉の最終段階で、労使双方を説得の上和解に導き、MLBの自己破滅を救った人物として知られています。この機会に、彼女とMLBの関りについて触れます。
1992年9月、コミッショナー事務局の無用な介入を排除するために、球団オーナーたちは、コミッショナーのフェイ・ビンセントを解雇し、代りに、ミルウォーキー・ブルワーズのオーナーのバド・セリグをコミッショナー代行に指名しました。選手会との対決に万全を期したのです。
1993年12月末に1990年の団体労働協約が失効しました。しかし、球団オーナーと選手会との交渉はやっと1994年3月に始まりました。最大の争点はサラリーキャップの導入でした。NBAが最初に採用したサラリーキャップは選手年俸を管理する手段として有効だと認知されており、NFLも導入していましたので、MLBの経営者はサラリーキャップ導入に意欲的でした。
もちろん、交渉項目はサラリーキャップだけではなく、多岐に亘っていました。今回、経営者は強欲でしたし、選手会は潤沢な闘争資金を蓄えていました。労使双方が強気の姿勢であるために、労使交渉は目を見張るほどの進展がないまま、選手会は、1994年8月、ストライキに突入しました。これに対して、経営者は、1904年以来、2つの世界大戦の間ですら中止されなかったワールドシリーズを含む、1994年の残り全試合の中止決定で対抗したのです。
経営者と選手会の泥試合を終結させる為に、クリントン大統領は労働長官に介入させたり、大統領自ら労使代表をホワイトハウスに招待し和解を促しましたが、成功に至りませんでした。
交渉が行き詰まると、全国労働委員会の登場です。全国労働委員会は、労使交渉を復帰させる為に連邦裁判所に差し止め申請を行いました。その上で、ニューヨークの裁判所で地区労働委員会、経営者、選手会が参加する訴訟を開始しました。その間に、オーナーたちは1995年シーズンの開幕を決定し、一方、今回裁判に当る判事も選ばれました。
その時、無作為抽出で選ばれた判事がソニア・ソトマイヤー氏だったのです。
ソトマイヤー判事の下で、労使は2年近く交渉を続け、1996年12月4日、合意に達し、2000年10月31日を有効期限とする新しい団体労働協約が1997年3月14日に締結されました。この協約では1996年シーズンも網羅することになりましたが、経営者が最も望んだサラリーキャップは盛り込まれませんでした。
だが、判事としても、弁護士としても、野球の紛争に携わったことのなかったソトマイヤー氏がMLBの歴史に大きな足跡を残すことになりました。この労働協約成立以降、MLBではストライキもロックアウトも起っていません。







