九州に居る間に、ゼミ生の丑久保之伸、鎌倉英嗣、樋口悠樹から一次通過の電話やメールが入りました。いよいよ、就職活動が本番に突入です。
本日は、伊藤忠ファッションシステムで専務を務め、帝京大で講師として2年間「ライセンスビジネス」を講義された伊藤博さんを、商社志望のゼミ生、益田祐介に紹介して、伊藤さんから繊維ビジネスについて話を聞きました。
益田には、先月14日、伊藤忠からの親友、中口威さんと中村元さんから「商社論」を3時間に亘ってインプットして貰いました。中口さんは調査のエクスパートですから、伊藤忠はもちろんのこと、他商社の強みや弱点を知り尽くしています。中村さんは植林とバイオ燃料の専門家で、その延長線上にある地球温暖化問題にも造詣が深いので、益田が2人の意見を聞くのは有意義と判断したからです。
そして、今日の伊藤さんの話です。スポーツ経営と商社の最も大きな接点はライセンス(マーチャンダイジング)です。広義に考えて、商社の繊維ビジネスはどんなことをしているのか、伊藤さんから分かり易く説明して貰いました。
私が伊藤忠に入った1970年頃、「商社冬の時代」と言われました。石炭部に配属されましたが、製鉄会社相手の輸入業務で1トン当り130円の口銭商売でした。口銭ビジネスには限界がありますので、石炭部のみならず、多くの部署が、徐々に、投資を行うか、子会社を作り上場を目指す動きをするようになりました。石炭部や鉄鉱石部は石炭や鉄鉱石の鉱山に出資しました。それが、一昨年来の資源ブームで会社に多大な貢献をするに至ります。
収入と収益を拡大した商社は、学生の間に人気が高く就職では狭き門です。しかも、折からの世界的不況です。更に、帝京大から総合商社にこれまで就職していません。
その意味で、益田はとてつもない難関にチャレンジしています。しかし、私は少しだけ楽観的です。何故なら、益田は去年3月ニューヨークに行ってNHLでインターンとして30日間働いているからです。プロスポーツリーグでの経験は、他の学生と比較して、断然有利と考えます。
どこかの総合商社が益田の経験を理解してくれて、益田の夢が叶うことを祈るばかりです。
昨日、中津江村の後、小国町の中心から東に約2Kmの所にある北里柴三郎記念館に寄りました。北里柴三郎は熊本医学校から、現在の東大医学部に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務します。当時の局長が長与専斎で、彼の勧めでドイツに留学し、その間に、破傷風菌の純粋培養法を確立し、また、血清療法の発見をして、その名を世界に知らしめます。帰国後、長与と緒方洪庵の適塾で同輩だった福沢諭吉の経済的援助を得て、柴三郎は伝染病研究所を設立します。
後日、慶応大学が医学部を創設する時、柴三郎は福沢の恩に報いるために、医学部長に就き、終生慶応医学部に尽します。
先日、ニッポン放送の元専務の高柳さんとランチを一緒した時、病気が話題になり、慶應と北里は先生達の交流が頻繁だ、と聞いていましたので、記念館での説明で納得するものがありました。
今日は、日田経由で福岡空港に戻り、帰宅しましたが、高速道路に乗る前に、日田の豆田町に寄りました。日田は江戸時代天領でしたから、広瀬淡窓(たんそう)の頃、全国でも最も裕福な町の1つでした。川越に残っている江戸時代の商人屋敷のような屋敷跡が豆田町に残っています。その屋敷跡の中に「広瀬資料館」がありました。
淡窓は、商家の長男に生まれましたが、病身であったために、家業を弟の久兵衛に譲り、儒者の道を選びました。26歳の時に、桂林荘に私塾を開き、後、生家から歩いて10分程度離れた咸宜園(かんぎえん)に移ります。淡窓の咸宜園は、緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾と並んで、3大私塾と呼ばれています。
咸宜園には全国から入門者があり、最盛期には200人を超えたそうです。塾生は寄宿するのですが、驚きは、彼らの年間費用が今のお金で200万円位したと言うことです。当時金持ちではない日本人が如何に教育熱心だったか、また、1人の優秀な子供を世に出すために家族全員の少なからぬ節約があったこともよく理解できます。
咸宜園と適塾の両方で優秀な塾生が大村益次郎(村田蔵六)で、幕末、松下村塾の木戸考充(桂小五郎)に引き立てられます。村田蔵六の入門願書が残っていました。
広瀬淡窓と日田には長年興味がありましたので、広瀬家の資料館と咸宜園を訪ねることが出来、満足して帰宅しました。
昨日お袋の一周忌を佐賀県神崎市千代田町のお寺で行い、その後、杖立温泉に一泊しました。今日は最近人気の高い黒川温泉に泊まる予定でした。杖立と黒川の間は車で1時間掛からない距離です。そこで、地図を眺めていましたら、杖立と黒川の中間地点の小国町から西に約10Kmの所に中津江村がありました。
中津江村は、2002年ワールドカップの時、カメルーン代表が試合前のキャンプを張った場所です。村民の歓迎準備とカメルーン代表の到着遅延が連日メディアに取り上げられ、一気にその名前が全国に知れ渡った大分県の端の寒村です。
中津江村のその後を聞くために役場を目指しました。杖立は大分県と熊本県の県境にあります。熊本県の小国町に向う道は立派で標識も分り易いので、快適な運転でしたが、中津江村の大分県側に入ると途端に道が狭くなり、標識も無くなりました。本当に中津江村に繋がる道だろうかと心配になるほどでした。道が整備されていないのは、大分県の端なので、道路の予算が廻ってこないからだそうです。
途中で数回中津江村の役場はどこですかと尋ねました。皆「真っ直ぐ」と言うんです。九州の人は大らかです。一昨日、福岡空港から高速道路を嬉野で降りて祐徳稲荷(祐徳は、伏見・笠間と並んで3大稲荷の1つです)にいきましたが、途中でカーナビが機能しないため、鹿島警察署に寄って道を尋ねましたら、2人の警官が本当にニコニコしながら「前の道を5Kmくらい”真っ直ぐ”行けば、大きな赤い鳥居が見えますよ。心配いりません」と教えてくれました。ところが、道は真っ直ぐではなく、左右に分かれる所もありますし、赤い鳥居もなかなか出てきません。また誰かに聞く必要があるなと心配し始めた頃、「祐徳」の標識が出てきました。やれやれです。
地元の人が「真っ直ぐ」と言う川と山に挟まれた山道を行くと中津江村の役場があり、日田市中津江振興局の森本久宣局長に話を伺いました。
2002年5月、1,300人の村民全員でカメルーン代表を出迎えました。その前に、小学生と中学生も参加して、村を挙げて、道を掃除し、花を沿道に植え、フランス語を習う、など、代表歓迎の準備を進めた様子を聞いていると感激の連続です。お昼時、食事を忘れて約1時間30分森本さんの話を聞きました。
その後、車で約5分ほ離れた鯛生(たいお)スポーツセンターに行きました。カメルーン代表が練習をしたのがここです。森本さんに電話を入れてもらっていましたので、横山守義所長が玄関の前で待っておられました。
スポーツセンターには、400人収容の宿泊施設、室内練習場、5つのグランド、があります。第1から第3までが芝生のグランドで、第1には照明も備わっています。
山間になぜサッカーグランドを5面も作れたのか不思議でした。山を削って平地を作ると膨大な費用が掛かります。普通なら出来ない相談です。中津江村には東洋一の生産を誇った鯛生金山があったんです。金山から出る廃材を谷間に捨てていたんです。金山を閉山するに当って、廃材の谷を住友金属鉱山の負担で埋め立てることになり、そこをサッカー場にしたそうです。
スポーツセンターに、九州の高校・大学・社会人・プロのサッカークラブを含め、年間約3万人が合宿や企業研修で訪れるそうです。今、中津江村は九州サッカーのメッカに変身していました。







