執筆・メディア・講演等 ご依頼はこちらMAIL
プロフィール
メディア関連
リンク
MLB.com

NBA

NFL

NHL

2010年 3月
« 2月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
色は記事がある日です。ご覧になりたい方はクリックください。

カテゴリー

最近の記事

アーカイブ

今書店に行くと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」及び同時代を背景とする数多くの書籍が棚に積まれている。明治時代初期は皆貧乏だった。だが、若者は自分自身の立身出世のため、また、国のために勉学に励むことが正義だった。年に3万人以上の自殺者を生み出す現代の鬱積した世相に比べ、彼らには坂の上の雲を目指して坂を登るが如き、「ひたむきさ」と「希望」があった。彼らにとって、前進することが「国益」であったに違いない。

国益の定義は難しい。時代と共に変遷するからだ。「立身出世=国益」と信じた明治初期に比べ、現在、私欲や企業の独占欲は必ずしも国益に繋がらない。倫理観と利益に対するバランス感覚が必要だ。

たとえば、プロ野球。正力松太郎氏がいなければ、プロリーグ創設は遅れていただろう。読売新聞社の社長だった正力氏にとって新聞発行部数増大が究極的目的であったとしても、当時の新聞社がこぞって発行部数を伸ばすためにスポーツイベントを利用していたことを勘案すると、読売だけが特別のことをしたわけではない。しかし、結果として、国民に娯楽を提供し、彼らの翌日の労働に活力を与えたことは紛れもない事実だ。プロ野球の人気化は、当時、国益だった。
テレビの普及もそうだ。読売新聞社と日本テレビの利益が最優先だったに違いないが、正力氏がテレビの普及にプロ野球を利用しなければ、テレビとスポーツの関係は今よりも希薄だったかも知れない。特に、1959年の天覧試合(巨人対阪神)のテレビ中継はプロ野球を国民的娯楽にした。以後、テレビと巨人の蜜月は40年近く続くことになる。国民が最高の娯楽として受け入れたからだ。だが、天覧試合によって構築された巨人中心のビジネスモデルは、今、国益に叶わなくなった。権利を一括管理しない限り、知的財産権(著作権で保護されたテレビ放送権、商標権で保護された商品化権、テレビ放送権と商品化権を軸とするスポンサーパッケージ)の現金化が国内はもとより、世界市場に適合できないからだ。もはや、個々の球団が権利を管理する手法ではMLBとの格差拡大を阻止できない。

もう一つ、オリンピックとワールドカップの放送権利料。国際スポーツ組織(IOCやFIFA、など)に支払う放送権利料は額が低いほど国益に合致する。ところが、国際スポーツ組織とテレビ局の間に入る代理人(店)は手数料ビジネスを生業としており、額が高い方が良いに決まっている。ここに利益が対立する。
今年2月のバンクーバー冬季オリンピックの放送権利料は、2012年の夏季ロンドン大会とパッケージになっており、総額約4,100億円。内、米国が約2,200億円、日本は約325億円を負担する。総額に対して米国は54%、日本は8%を占める。米国はともかく、現下の経済情勢から判断して、日本が世界の8%を負担する能力があるだろうか?放送権利料とメダル獲得が比例するとも思えない。
今年6月のワールドカップでも同じことが言える。日本の支払額は約170億円。1試合平均のテレビ放送権利料は約3億円。巨人戦の放送権利料が1億円を割り込んでいる現在の相場では、ワールドカップの権利料は法外だ。これでは、スポンサーに高額のCM料を我慢して貰ってもテレビ局の赤字は避けられない。

スポーツのテレビ放送はオリンピックやワールドカップで終わりではない。国際的スポーツイベントのテレビ中継も大事だけれども、日本のスポーツ産業を大きくするためには、国民体育大会やインカレなど、諸々の国内スポーツイベントのテレビ露出が極めて重要だ。しかし、テレビ局は予算がないとの理由でマイナーなスポーツ大会を取り上げることはない。
だから、オリンピックやワールドカップの放送権利料を削減して、日の当らないスポーツイベントを是非とも放送して欲しい。なぜなら、テレビ露出が将来的には必ず「国益」に繋がるから。

トラックバック URL : http://blog.nippon-sports.com/archives/281/trackback/

江戸時代、江戸(東京)で働く職人たちは「宵越しの銭は持たない」と粋がった。年金や医療の制度が整っていないにもかかわらず、彼らは倹約や貯蓄と無縁だった。その日暮らしだから決して裕福ではないはず。だが、貧乏であっても、腕が立てば失業の心配はなく、将来不安も一切なかったに違いない。それ以上に、おひざ元に住む彼らは、普段の生活の中で幕府に対して揺るぎない信頼があったから、万一の場合の備えが必要と感じなかったと思える。
現在、われわれは江戸時代の人たちよりもはるかに豊かだ。国の経済力は世界第2位。江戸時代に頻繁に起こった飢饉の発生はもはやあり得ないし、社会保障が充実しているので餓死することなど想像すらできない生活環境にある。江戸時代より数段恵まれているにもかかわらず、国民の多くは、将来に対して大きな不安を抱えている。さらに、何よりも際立っているのが、国と官僚にたいする不信。1,400兆円余りにも達する個人金融資産の存在がその証拠だ。

かかる環境の下、サラリーマンの将来不安を助長する出来事があった。日本航空(JAL)の会社更生法適用申請に伴う、企業年金支給減額だ。JAL蘇生の一方策として、結局、社員OBは30%、現役社員は53%の減額に同意した。現役社員は、再生が叶い、その後業績が回復すれば、給料の面で取り返す機会が残っているが、OBはそうはいかない。OBの多くは、どこかで働いて減額分を埋め合わせたいと思っても年齢的に働く場がないのが実情だ。
連結売上1兆9千億円。グループ従業員約4万8千人。日本を代表する企業でも倒産することもあり得ることをJALが改めて示唆した。企業が経営危機に陥ったとき、サラリーマンOBにとって生活給である年金が減額されることが避けられないことも明白になった。個人資産はさらに増え続けるに違いない。
国民総生産(GDP)の伸びは企業の設備投資と個人消費に支えられている。誰もが、国益の観点から、消費を拡大することが大事と分かっている。しかし、現実の生活では、給料は上がらない、雇用が不安、年金も不透明などの理由で消費を控えざるを得ない。不安軽減のための個人資産増加は個人消費減少に直結する。
そうなれば、日本の経済はますますデフレの圧力が増すに違いない。経済は衰退し、学生の就職難は改善されないどころか、もっと悪化するだろう。したがって、企業倒産時の年金減額を防ぐために、企業に年金積み立ての義務化と独立勘定の設定について法制化を急ぐ必要があると考える。

年金はサラリーマンだけの問題ではない。プロスポーツの選手たちこそ、年金の充実は喫緊の課題だ。プロ野球は年金制度があるが、Jリーグとbjリーグには制度そのものがない。プロ野球選手の年金受給額は最大で年間142万円。生活の支えになる金額ではない。また、選手の現役平均寿命が10年にもかかわらず、受給資格を得るには10年の在籍が必要なので、平均して、半数の選手が年金の恩恵を受けていないことになる。これでは、プロスポーツはリスクの高い職業といわれても抗弁できない。
あるプロ野球球団職員に聞いたところ、サラリーマンの子息が選手になる比率は低いそうだ。将来的な安定を求める傾向の強いサラリーマンは、自分の子供がプロ選手として大成しなかったときのリスクを負いかねる気持ちが強いと思われる。
スポーツ産業拡大のためには、多くの子供がスポーツに興じ、「プロ」になる夢を追い求めることが重要だ。プロの選手は努力次第で、サラリーマンの数十倍の年俸を手にする可能性があるから、年金は不必要との考えもあるが、それは間違っている。なぜなら、プロで成功しないかもしれない選手の生活を最小限でも支えることが選手人口増大につながるからだ。
だから、プロ野球に倣い、Jリーグとbjリーグも契約金制度を設け、たとえば、契約金の半額を強制的に年金に回すシステムを構築すべきである。MLBの選手会(労働組合)が最初に経営者と交渉して合意したのが年金と健康保険。年金が労働者にとって最重要案件であることをMLB選手会は40年以上も前にわれわれに教えている。

トラックバック URL : http://blog.nippon-sports.com/archives/280/trackback/

長崎市が広島市と検討していた2020年夏季五輪共同開催を断念すると公表した。極めて残念だ。広島と長崎は他の都市と異なる。世界ひろしといえども、原爆によって壊滅的な打撃を受けた都市は広島と長崎以外にないし、今でも多くの住民が被爆の後遺症に悩んでいる。両市は、自らの体験を通じて「核廃絶」と「世界平和」のメッセージを世界中に発することができる数少ない都市なのだ。だからこそ、残された広島市の招致活動を応援したい。

一方で、被爆地の広島は政治色が強すぎると敬遠される可能性がある。さらに「スポーツに政治を持ち込むな」との意見も多い。だが五輪は、過去、国際政治の影響を常に受けてきた。五輪が世界規模で行われる以上、1936年のベルリンや2008年の北京が国威高揚に利用されたように、政治的思惑から逃れることはできない。だからこそ、五輪を通じて世界に「平和主義」を訴える機会を広島に与えても良いのではないだろうか。
広島と長崎の五輪招致表明に、IOC(国際オリンピック委員会)もJOC(日本オリンピック委員会)も初めから冷淡だった。IOCは、五輪憲章が「1国1都市開催」と定めており、2都市共催は認められないと否定的だった。だが、スポーツのルールが変わるように、五輪憲章も、時代の流れに応じて変わるのは当然だ。文言に固執する必要はない。現に、1974年に五輪の絶対的精神的支柱であった「アマチュア」の文言が憲章から削除された。選手たちが満足して競技ができるように大会全体を効率よく運営すれば良いのだから、アマチュアの文言削除に比べれば、「共催」排除は説得力に乏しい。
五輪は巨大なイベントになってしまった。現状から判断する限り、大都市でなければ五輪招致が困難となった。国家の財政支援も相変わらず必要だ。金持ちの国の、その中の大都市だけに五輪開催が許されるような仕組みがベストなのだろうか。別の見方をすれば、五輪の規模が大きくなったのだから、複数の都市が連携して効率よく開催するのであれば「共催」を認めても良いのではないか。器用な日本人が苦もなく共同開催をやってのける様を世界に見せたいものだ。
1984年のロサンゼルス大会から五輪はプロ(すなわち、商業)化が一気に進んだ。以来、放送権利料やスポンサーシップの高騰によって、開催都市の組織委員会の収支は黒字に転じた。

もちろん、五輪を開催するに当たって、空港・港湾や鉄道網の整備、高速道を中心とする道路網の拡充、競技施設の改修や新規建設など、公共事業的投資が欠かせないので、五輪に対する国家の経済的負担は依然として大きい。開催都市と国家の協力が不可欠ならば、それこそ、地方分権を推し進めようとしている日本では、東京よりも地方都市での五輪開催が時代に合っている。だから、広島の五輪招致に魅力を感じるのだ。都市選定では、中立・公平であるべきJOCが、現時点では明らかに、広島(と長崎)よりも東京を支持している。確かに、都市機能が充実しているので、東京が圧倒的に有利である。加えて、世界の人々も東京の方を良く知っている。
一方で、東京はある種致命的欠陥を抱えている。超一流かどうかを別にすれば、東京には何でも揃っている。無いものはない。しかも、東京都も国も、五輪の力を借りなくても、必要ならば、公共施設を作る力が備わっている。だから、都民は五輪に期待するものが少ない。都民の考え方が多様化しているのも東京都に逆風だ。都民の大多数が五輪招致を是が非でも実現したい、と熱狂的にならないからだ。地方分権の観点からも、広島を中心に、中国と九州の主要都市が連携して、地球環境に最大限配慮した五輪実現を目指すべきだ。広島は東京よりはるかにハードルが高い。だからこそ、広島(と長崎)は2020年にこだわらず、開催が実現するまで毎回、「平和」をスローガンに招致活動を続けるべきである。広島(と長崎)こそ、「継続は力なり」を示して欲しい。

トラックバック URL : http://blog.nippon-sports.com/archives/279/trackback/

プロスポーツリーグや大学スポーツ組織は、テレビ放送や商品化などの権利を保有する。放送権を買ったテレビ局は、放送権利料に番組制作費とテレビ局の電波料を上乗せしたCMタイムを番組スポンサーに販売する。また、商品化では、通常、ロイヤルティは卸売価格(小売価格の60%程度)の6%で設定されるので、小売店でNYヤンキースの帽子を野球ファンが1000円で購入した場合、ライセンシーである野球帽子メーカーからライセンサーであるMLBに36円が支払われる。日常的に、スポーツ団体や組織は、選手や職員に給料、スタジアムなどの施設に使用料、弁護士や弁理士事務所に法的サービス料、等を支払う一方、球団から給料をもらった選手は代理人に手数料を支払っている。

このように、権利を保有するスポーツ団体や組織は、多くの種類の産業や企業と取引をしており、米国スポーツ専門誌の統計によると、2001年に4大プロリーグ、マイナーリーグ、その他プロスポーツ、大学が稼いだ収入の合計は約318億ドル(約2兆9000億円)、同年のスポーツ関連消費総額は1,946億ドル(約18兆円)だった。このことから、スポーツ産業全体の経済規模は、権利保有団体・組織が稼ぐ収入の6~7倍であることが推察できる。
2001年当時の売上が35億5000万ドルだったMLBは、2008年には65億ドルに、NFLは同年比較で40億ドルから80億ドルに伸ばしているので、おそらく、米国のスポーツ産業は現在、30兆円に近い規模に達していると推測する。

米国の手法を日本に適用すると、権利を保有するスポーツ団体(プロ野球、Jリーグ、bjリーグ、その他)の総収入は約2000億円。それを6~7倍するとスポーツ産業の規模は約1兆3000億円程度とみなすことができる。だが、日米のGDP(国内総生産)比較を加味すると、日本のスポーツ産業が13~15兆円規模で米国の肩に並ぶことになる。やり方次第で10倍の成長が期待できる。米国に比べ、日本のスポーツ産業はなぜ小規模なのか。その理由を3つ挙げる。
1つ目は、リーグと球団数が少ないために、リーグと球団の総収入が小さい。
2つ目は、米国の大学が4大プロリーグの売上合計と同じ程度の収入を得るのに対し、日本の大学の収入は極めて少ない。
3つ目は、権利の現金化に精通した「スポーツ経営(Sports Management)」の専門家が少ないーことだ。

米国の大学スポーツ組織はスポーツ経営のプロが管理している。昨年6月には、WTA(世界女子テニス)ツアーの最高経営責任者が、PAC-10(UCLAやスタンフォード大学など、アリゾナ州・カリフォルニア州・オレゴン州・ワシントン州の10大学で構成)のコミッショナーに就任した。
アマチュアのスポーツ組織であっても、組織の管理者はプロなのだ。だから、米国では、プロ・アマを問わず、スポーツ団体や組織にスポーツ経営を学んだ人材が膨大な数就職し、スポーツ経営を教える大学(UniversityとCollege)が200以上存在する。

日本の大学も、ビジネスの機会がないわけではない。2日にわたり、120キロの沿道を人々が埋め尽くす箱根駅伝、国立競技場に5万に近い観客を引き付ける大学ラグビーなどは、豊富な金脈があるのに掘る量が少ない。サッカーや野球も、物足りない。スポーツ経営の専門家が組織に入り、得た収入を大学施設に還元する仕組みを作り上げると、スポーツ産業が必ず活性・拡大する。
大学卒業生の就職氷河期が続くが、プロスポーツリーグが収入を増やし、周辺産業や企業をもっと潤わし、大学のスポーツ組織が「商業」に目覚めてくれたら、日本のスポーツ産業が拡大する。そうなれば、産業の成長に比例する形で大学卒業生を吸収することができるのに、と思わざるをえない。

トラックバック URL : http://blog.nippon-sports.com/archives/278/trackback/

下記は、掲題のオリジナル原稿。「補助金縮減をバネに収入増加を図ろう!」

行政刷新会議の「事業仕分け」で、JOC(日本オリンピック委員会)に対する補助金が縮減の対象になった。補助金の減少は選手強化に支障が出る、とJOCやスポーツ選手から反対の声が上がった。JOCの09年度事業予算は約87億円。80億円前後に減少する可能性がでてきた。参考までだが、米国オリンピック委員会の08年事業経費は約2億3千万ドル(約200億円)。人口と経済力を基に比較すると日米の差は殆んど無いに等しい。だから、両国がオリンピックで獲得するメダルの数の違いが、両国オリンピック委員会の予算の大小に起因することではないことは確かだ。

不幸なことだが、日本のスポーツ団体が「アマチュア」を歪めて解釈しているように思えてならない。たとえば、日本学生野球憲章。現在、憲章の条文の改正作業が進行中。最近、第2次案がでた。その前文で、「学生野球は経済的な対価を求めない心身修練の場である」と定義している。「学生野球=アマチュア」は自明の理。改めて確認する必要はない。 

産業革命が起り、労働を機械に取って代わられ、時間がたっぷりあるイギリスの富裕層が、スポーツに関る諸費用を自己負担できる自分たちを「アマチュア」と規定した。彼らは、ゴルフ・テニス・ラグビー・サッカーのルールを定め、クラブを組成して、会員以外をスポーツの仲間から排除した。富裕層はスポーツを貧乏な労働者との差別化に利用したのだ。アマチュアの精神は近代オリンピックで昇華し、「経済的な対価を求める」プロ選手を長年に亘って国際舞台から排斥した。
この「アマチュア精神」に最も忠実だったのが日本のスポーツ団体だった。しかも、彼らは、選手だけではなく、自らも経済的対価を求めてはいけないと解釈したのだ。したがって、日本のスポーツ選手は、学生である間は保護者から、また、社会人になってからは企業からの、経済的援助がなければ続けることができない。たとえば、大学の本格的運動部。部員はグランドの近くの寮に入居し、毎日遅くまで練習を繰り返している。学校から施設に対する補助があるものの、寮費や食事代、遠征費や合宿代を合計すると、保護者の負担は相当な額に達するそうだ。正に、金持ちの保護者を持たない学生は本格的な部活に参加できないのが実情だ。企業の運動部も同じ。運動部員の給料、練習のためのグランドや体育館の確保、選手の遠征費用、応援のための試合チケット購入、等、運動部維持に金銭的に耐えられる企業だけが運動部を保有できるし、業績悪化と共に運動部が休部や廃部に追い込まれることにもなる。

プロスポーツでも、リーグ(=コミッショナー事務局)は非営利団体。米国の4大プロリーグのコミッショナー事務局は全国と世界市場から莫大な収入を吸い上げて各球団に配分している。米国大学体育協会は4大プロリーグの総収入に匹敵する収入を得て、各大学に還元している。米国スポーツ界は、プロ同様、アマチュア組織も大いに稼ぎ、組織に還元する仕組みを構築している。そのため、スポーツ産業が推定で30兆円の規模になっており、選手層が厚くて競争も激しいので、オリンピックで活躍する選手の数が桁違いに多いのだ。

非営利団体が「収入を得てはいけない」と規定している国は世界中どこにもない。JOCはもっと収入を上る潜在的力がある。高野連は春と夏の全国的熱狂を充実した奨学金制度に変えることができるし、大学ラグビーは芝生のグランドを増やすことが可能だ。岸記念体育館に事務所を構えるスポーツ団体も高校野球や大学ラグビーに負けずに、テレビ・マーチャンダイジング・スポンサーシップの権利を現金化する努力をしてはどうだろう。

補助金縮減反対にエネルギーを費やすより、この機会を捉え、JOCと各スポーツ団体が、自ら収入を得て、スポーツ団体間で選手強化を競い合う体制を作る方が賢明と考える。

トラックバック URL : http://blog.nippon-sports.com/archives/272/trackback/