史上初めてバスケットボールが行われたのが1891年。バスケットボール発祥の地、米国マサチューセット州スプリングフィールドには殿堂が建てられている。先月、3人の元NBA(米プロバスケットボール協会)のスーパースター、マイケル・ジョーダン、デビット・ロビンソン、ジョン・ストックトンが、規定上最速の、引退後5年で殿堂入りを果たした。彼らの共通項の最たることは、1992年バルセロナオリンピックの米国代表メンバーだったことだ。
プロバスケットボール選手が最初にオリンピックに参加したのがバルセロナ。それまで、オリンピックの男子バスケットボールでは、ステートアマから成る社会主義国の代表チームに、学生中心の米国代表チームは歯が立たなかった。プロ参加が容認され、人気と実力を備えた当時最高レベルのNBA選手11人と大学生1人で構成された代表チームを、米国は満を持してバルセロナに送ることを決定。
結成時から「ドリームチーム」と呼ばれた米国代表は、本大会でも期待に違うことなく無敗で完全優勝を達成し、世界中がその強さに感嘆した。そして、「ドリームチーム=NBA」が世界に浸透することになった。
ドリームチームにユタ・ジャズからストックトン(プロ在籍期間84~03)とカール・マローン(同85~05年)の2人が選ばれた。ストックトンは身長が185センチ。大男ぞろいのNBA選手の中では最も背の低い一人だった。その彼がアシストの名手(1万5,806回は歴代最多)でありえたのも、206センチのマローンという相棒がいたからだ。また、プロレスラー並みの体格で確実に得点(通産3万6,928得点は歴代2位)を重ねることから「メールマン」(郵便配達人)の愛称が付いていたマローンもストックトンの存在は不可欠だった。2人が繰り出す技はNBA史上最高と賞賛され、分かっていても2人の動きは止められないと言われたモノだった。
コインの表と裏のごとき2人のコンビネーションプレーが最高に達したのが、93年にソルトレークシティーで行われたNBAオールスターだった。試合のMVP(最高殊勲選手)は文字通り1人の選手に与えられる最高の称号だが、史上初めて2人がペアで受賞した。筆者もその試合を現地で見たが、2人のプレーは芸術を超え、正に神業だったことを覚えている。
バルセロナの2年前の90年、NBAは北米大陸以外で初となる公式戦を東京で行い、世界市場進出を本格化した。そのとき来日したのがユタ・ジャズとフェニックス・サンズで、ストックトンとマローンは日本のファンの前で彼らの魅力を遺憾なく披露してくれた。
余談だが、日本のバスケットボール選手は全員、東京で行われたNBA公式戦を観戦することはなかった。ストックトンは、背の低い日本人選手が最も手本にすべき一人であったし、何よりも、上手なプレーを見ることが上達の早道であるにもかかわらず、試合当日、彼らが所属する社会人リーグは東京以外で試合のスケジュールを組んだのだ。日本のバスケットボール協会がNBAを競合相手と考えたためと推察するが、この狭量はいまでも続いていて、結果、76年のモントリオール以来、日本の男子バスケットボールはオリンピックに出場していない。
ストックトンとマローンのコンビはマローン入団の85年から始まり、ストックトンが引退する03年まで続いた。仕事は1人では何もできない。大きなプロジェクトになるに従い多くの仲間が必要になる。だが、相棒と呼ぶことができるパートナーがいない人に、仲間となる人が集まるはずがない。ストックトンとマローンを思い出し、仕事の成功の鍵はパートナー選びであることを再認識した。
元NBAユター・ジャズのジョン・ストックトンが引退後5年にして、バスケットボール殿堂入りを果たしました。彼は、1984年に入団、2003年に引退。その間、ジャズ一筋で活躍し、15,806のアシスト数は歴代最多です。日本との関係では、彼は、1990年東京体育館で行われたユター・ジャズ対フェニックス・サンズのNBA公式戦開幕試合に、ジャズの一員として来日しています。また、1992年のバルセロナ・オリンピックのバスケットボールアメリカ代表(いわゆる、「ドリームチーム」)メンバーの1人です。
現在、世界中のバスケットボール選手が、ドラフトを経て、NBA球団に入ることが可能です。しかし、一方では、最も狭い門です。なぜなら、NBAの場合、ベンチ入りの選手は12名ですから、30球団x12名=360名の椅子しか有りません。選手寿命を仮に12年(実際はもっと長いですが)とした場合、新人選手は、年に30名の入団、すなわち、1球団当り1名、で事足りることになります。従って、NBAの選手は、他人が持っていない何か特別の術がないと、入団はおろか、選手間の競争に残れません。競争の激しい世界です。だが、NBAで地位を確保すると、NBA収入の約60%を360名で分け合うのですから、平均年俸は約6億円に達します。この平均年俸は、MLB選手の倍、日本のプロ野球選手の約20倍、日本のbjリーグ選手の約100倍です。因みに、日本の平均的サラリーマンの生涯年俸の倍です。
そんなNBA選手の中で、ストックトンは身長が185cmです。NBAの選手としては最も身長の低い部類に入ります。バスケットボールの世界では、背が低いことは致命的ハンディがあります。それでも、彼は、現役期間中、超一流の成績を残しました。彼が、NBAの歴史に燦然と輝くことができるのは、「メールマン」の愛称を持つ、カール・マローンと言う「点取り屋」とコンビを組んだからです。
日本が生んだ天才バスケットボール選手の田臥がNBA入団を挑戦していますが、360名の枠に入れません。田臥はストックトンよりも小柄です。だから、田臥個人の努力だけでは限界があります。田臥には、ストックトンのジャズでの20年間を充分に研究すること、同時に、カール・マローンのような、これまた超一流の相棒を早く見つけること、を勧めます。
大リーグシアトル・マリナーズのイチローが、1876年のナショナル・リーグ創設以来、前人未到となる9年連続年間200本安打を達成。年間に数人しか200本安打に届かない昨今の投高打低の状況が続くならば、必ず大リーグの伝説になるであろう大偉業を成就した。この機会にイチローについて考察する。
1992年にオリックスに入団したイチローは、3年目の1994年に初のパリーグ首位打者に輝いた。その年の11月、伊藤忠商事の社員で、アメリカプロバスケットボール、NBAのプロジェクト責任者だった私の所に、NBAの広報から、NBAファンのイチローを日本で行われるNBAの公式戦開幕試合のチップ・オフ(始球のトス)に呼びたいと打診があった。首尾よく交渉がまとまり、イチローがコート中央でボールを上げてくれたが、彼を身近に見たNBAの関係者が一様に、「イチローは野球選手にしては随分と華奢だ。しかも、彼がプロ野球の首位打者とは信じられない。日本の野球のレベルは低いのでは?」と言っていた。イチローと握手を交した私も、彼らの言葉に肯定的だったことを鮮明に覚えている。その彼が、その後、7年連続首位打者になり、更には、大リーグに移った2001年から9年の間に次々と日米の記録を塗り替えてきた。今後も記録更新は続くであろう。9年連続200本安打も単なる通過点になる可能性が高い。残念ながら、私は全く見る目がなかった。だが、1994年当時、誰が、今日のイチローを想像しえただろうか?
イチローはスポーツ関係者万人の固定観念を完璧に打ち砕いたが、その要因の1つが、「継続は力なり」である。イチローは変っている。たとえば、誰も遅刻をしたイチローを見たことがないと言うほど、時間厳守は当たり前。試合日は試合開始時間から逆算して定時に起床、朝食(時に昼食兼)は必ずカレーライス、誰よりも早く球場入りし試合前のランニングと柔軟体操を判で押したように繰り返す、ことは広く知られている。バッターボックスでの毎回同じ儀式を行うので、シアトルの子供たちはイチローの物真似が大好きだ。
同じことの繰り返しは簡単なようで、実は難しいことを誰もが実体験で熟知している。経営者やサラリーマンの中で、たとえば、毎朝、30分英字新聞を読む、または、10キロ走る、または、晩酌はビール1本に限定、等々、10年以上に亘って、何か1つでも続けている人が何人いるだろうか。
私は、ブログを1週間に1回のペースで書き続けることを心に決めているが、不継続の連続。イチローの爪の垢を煎じて飲めば1年位は続くかもしれないと思うほどだが、おそらく、読者も私と五十歩百歩に違いないと創造する。
イチローは「準備」の人である。だから、大きなケガや故障が少ない。正しく、「無事これ名馬なり」の典型的な例と言える。故障者リストに頻繁に載るようでは、9年連続200本安打が生まれるはずがない。イチローが試合に備え、毎日入念に体を解すことも経営者やサラリーマンが明日の仕事の準備を怠らないこととは合い通じるものがある。季節の変わり目に風邪をひいたり、二日酔いで会社を休みがちなサラリーマンは、時々、イチローを思い出すことを勧める。
サラリーマンもイチローのように、自分自身に投資を続けることが肝要である。今日からでも遅くない。誰が何と言おうが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、自分の価値を高めるために何か1つ継続できるものを見つけ、10年、または、一生続けてはどうだろう、必ず得るものがあるはずだ。
イチローの9年連続200本安打は、我々の生活習慣を顧みる良い機会を与えてくれたかもしれない。
アメリカプロフットボールのNFL (National Football League)は「戦力の均衡」(Competitive Balance)に最も拘るリーグの1つです。その戦力の均衡を制度の面から実現に近づけようとするのが、「球団収入の均等化」と「球団支出の平準化」です。
球団収入の均等化では、コミッショナーが重要な役割を演じます。現在、球団は保有する権利を現金化することによって収入を得ています。保有する権利は、大きく分けると、チケットの販売、球場内の物品販売、テレビ・ラジオの放送権利料、マーチャンダイジング(商品化)のロイヤルティ収入、スポンサーシップ料の5つです。内、チケットと球場内販売の顧客の大半はフランチャイズ地域に住んでいますので、球団は「売り手市場」の下で独占的商行為が可能です。当然、ここの部分では、球団収入の均等化は起こりません。
残り3つの権利、即ち、テレビ・マーチャンダイジング・スポンサーシップの商行為はフランチャイズ地域のみならず全国市場で展開できます。この場合、各球団が個別に販売活動を行うことは極めて非合理的です。効率がよくありません。1人に任せる方が遥かに効率的です。そこで、アメリカのプロリーグはコミッショナーに全国市場でのビジネス展開を委ねています。コミッショナーが稼ぐ収入は、経費控除後、原則、各球団に均等に配分されますので、コミッショナーの働きに応じて、球団収入の均等化が進む仕組みになっています。
球団支出の平準化で最も有効な施策が「サラリーキャップ」です。サラリーキャップは球団が選手に支払う最大報酬額を意味します。リーグと球団が稼ぐであろう総収入を総球団数で割った額に、選手への配分比率(約60%)を乗じた金額がサラリーキャップです。サラリーキャップが実施されますと力のある選手を分散させることができます。有力選手をお金の力で全ての球団に平均して配置させることで球団の戦力を拮抗させようと言うものです。
仕組みは簡単ですが、実際の運用は極めて複雑です。現在、サラリーキャップを導入しているリーグは、NBA・NFL・NHLです。3つのリーグ(実はサラリーキャップを導入していないMLBも併せ4リーグ全て)が2011年に現行の団体労働協約の期間が終了します。サラリーキャップが労使交渉の争点の1つになるのは避けられません。
NFL (National Football League)は世界で最も成功しているプロスポーツリーグです。なぜ、NFLは経済的に裕福なリーグなのか、3週に亘って追及するのが、今回の放送企画です。
NFLは徹底して「戦力の均衡」に拘るリーグです。無理やり戦力の均衡を作り出そうとしている所もあります。この部分を捉えて、日本のプロ野球関係者の一部には、NFLのシステムは社会主義的、または、資本主義が標榜する自由競争を阻害する、と非難する向きもあります。しかし、本当に資本主義的システムではない、と言えるのでしょうか?
NFLが抱える宿命的制約を考慮する必要があります。レギュラーシーズン中、ホームでの試合数は8です。8試合は全て異なるチームとの対戦になります。テレビの無い時代、8試合のチケット代金収入で採算を維持しなければなりませんでした。8試合を満席にすることが最も重要な課題です。8試合とも面白いに違いない、とフットボールファンに期待してもらうためには、全試合、対戦する2つのチームの戦力が拮抗していることが不可欠です。全試合満席を実現するために、NFLは「戦力の均衡」に拘りました。
この原則は、テレビが家庭に普及しても変わりません。どのチームの対戦も面白いから高い視聴率を叩き出すことができ、結果、莫大な放送権利料を得ることが可能になります。だから、8万人の人口のGreen Bayでもフランチャイズになれるんです。奇跡的です。
「戦力の均衡」はチケットを購入してくれるファンの期待に応えるための手段です。経済、商いの究極的な目的は、顧客に満足してもらうことです。NFLは顧客であるフットボールファンが満足する商品、即ち「試合」を提供しているから、最高の収入と収益を確保できるのです。資本主義の鑑です。







