ヨーロッパはテレビが公共放送でしたので、視聴率を稼げるサッカーと言えども、生中継が少なく、まして、番組の中にCMを挟むことができませんでした。そこで考え出されたのが、ピッチの横に並ぶ「広告看板」です。広告看板の価値に注目し、ビジネス化を計ったのが、アディダスの2代目、ホルスト・ダスラーです。
アディダスの創業者はアドルフ・ダスラーです。アドルフには兄のルドルフがいました。兄は営業に適し、弟のアドルフは職人気質でした。所が、兄弟は第2次世界大戦を挟んで不仲になり、1948年に完全に袂を分かちます。
「アディダス」の社名は、アドルフの愛称の「アディ」とダスラーの「ダス」を組み合わせて命名されました。一方のルドルフが設立した会社が「プーマ」です。2人は生まれたヘルツオ-ケンオーラッハの町を流れるオーラッハ川の両岸に住んだために、兄弟の確執が町の人々にまで影響を及ぼしたそうです。それほどの兄弟喧嘩だったわけです。喧嘩も中途半端でないために、世界市場で争う、アディダスとプーマを作り出したとも言えます。
アディ・ダスラーは世界で最初に競技別に異なる靴を考案した人です。アディの技術が1954年のワールドカップスイス大会でドイツ優勝に貢献します。ドイツとベルギーの決勝は雨の中で行われました。2対2の前半を終えたドイツは、スパイクのスタッドを取り替えたのです。アディの考案でした。滑らなくなったスパイクのお陰もあり、ドイツは3対2で初優勝を遂げました。
アディ・ダスラーは、最高のアスリートがアディダスの靴を履いてくれることが最高のプロモーションになることに気付き、今で言うところの「プロダクト・サプライ」を最初に行った人でもあります。
Too many cooks spoil the broth.
投稿者:大坪正則 | 12:13








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